11/1(木) 晴れ メソカント峠越え  

今日のルートは雪の峠越えだ。キッチン達も4時半頃から起きて騒がしい。私も5300mの雪の峠越えの為にハイテンションだ。アンダーウェアを一枚多く着て、タイツももう一枚重ねてはいた。6:30 ティー 7:30 朝食。お粥、マカロニ、パン、ミルク他 しっかり食べた。8:35 ブーツも冬用にして出発。あの雪渓を登るぞと自分に言い聞かせ、雪の峠を見上げた。その白い稜線の上には青空が広がっていた。昨日、下見に来た雪渓の下まで楽に来た。9:00 いよいよ大雪渓に踏み出す。ポーターたちが登っていくのが小さく見る。踏み跡をひろい乍らキックステップで登る。気温が高いせいか(5℃から10℃位)雪も柔らかい。見上げた感じでは3時間もあれば登れるだろうと思えた。しかし峠に近づくにつれてだんだん傾斜が増してくる。其れにつれて苦しくなり足も遅くなった。13:00 やっと峠に這い上がった。そこには素晴らしい眺めが待っていた。白く輝く雪山に囲まれてコバルトブルーの湖があった。それはとても神秘的だった。左手は緩い起伏の雪原が広がり遥か遠くの峠まで続いていた。この忘れ難い風景を、拙い私の筆力ではとても表すことは出来ない。               岡  記
峠まで苦しい登りが続いた
メソカント峠 5340m
峠に立つとティリチョレイクが見えた

 

メソカント峠から ポーターテント(5300m)   (フォーストビバーク状態)

13:30 メンバーが揃ったので一団となってポーターのトレースを辿る。風もなくとても暖かい。一ヶ所小さな急登があったものの、大した上り下りもない雪原を日本の春山のような気分で歩いた。「私ならこの辺で幕営だ。」などと冗談を言っている間はよかったが、なかなかテントがない。遥か遠くに見えた峠が近くになってきた。まさかあの峠を越えるのではないだろうなと心配になってきた。私たち6名とガイドのヒットマン以外に人影はない。片倉隊長が「靴に雪が滲みて足が濡れてきたので先にテントに行きます。」と言って先に行った。だんだん陽が西のメソカント峠の方に傾いてきた。しばらく行くと右手にテントが一張り見えた。「キャンプ地だ。」と思ったが、一組の外人のテントだった。がっかりした。日没頃、遠かった峠に着いた。すると前方から片倉隊長が戻ってくるのが見えた。テントが見つかったので知らせに戻ってきたのだと思った。しかしそれはあまりに甘すぎた。「キャンプテントが見つからない!」と言った。この先は急な下りでもう薄暗くて先のルートは分からないし、この辺りは何度も探したがキャンプ地は見つからないと言う。日が落ちると忽ち寒さと闇が分単位で追ってきた。私たちは小さな岩の周りに集まってダウン等防寒着を着込んだ。もうすっかり暗くなっていた。これはまずい!ビバークになると思った。標高5300mの雪山のビバーク、気温も−10〜15℃になるだろう。何しろツェルトが無いのだからとても不利。それにここは風当たりが強すぎる。とにかく風の無いところに移動しなくてはならない。冷たい風が吹きつける中で、片倉隊長がレスキューシートを出したがくっ付いていてなかなか広がらなかった。そうこうしているうちに、ヒットマンはキャンプテントを探しに行ったが、分からなかったといって戻ってきた。隊長が「とにかく移動して、あの外人の小さなテントに行って一人でも入れてもらおう。」と言った。(実は後から見ればこれが唯一無二の最高の好判断だった。)
パサンサーダーは先に行ってしまった
15:30 行けども行けどもテントは見えず
17:20 とうとう日が暮れてしまった
 

ヒットマンを先頭にそれぞれヘッドランプをつけて真っ暗な中を歩きだした。すぐに誰かが「ライトが見える。迎えに来たんだ。」と言った。「待ってて!」と言ってその方向に歩き出したが、すぐに「違った。星の瞬きだった。」と言って戻ってきた。私にはよく見えなかったが、その方向から迎えが来るとは思えなかった。又、真っ暗な中ヒットマンを先頭に峠を下りてテントの近くに着いた。さすが有能なガイドだと思った。私なら彷徨っていただろう。近づくとそこにはブルーシートを掛けた荷物があった。ヒットマンが「これはうちの隊のデポです。」と言った。「え、何で。」と思った。何故うちの隊の荷物がここにあるのか私には理解できなかった。見てくると言ってテントに入ったヒットマンが「OK。」と言うので、傍に行ってみると行く時に1張だったテントが2張あった。訳の分からぬまま居ると大きなテントからヒットマンが「どうぞ。」と言った。とにかく全員が入っていろいろ話しを聞いてみると、なんと私達の先を歩いていた4人のポーターが道に迷ったのか、間違えたのかで遅くなり私たちの後ろになってしまい、日没で行動を中止してここに幕営したのだという事だった。中には私たちのシュラフが4つあり、伊賀さんの大きなダッフルバッグもあった。テントの中心に足を向けたというか集めた状態でシュラフを広げて皆で掛けた。狭いが横になれた。意外と暖かかった。すぐにうとうと眠ってしまった。何か声がするので目が覚めた。なんとサーダーのパサンがテントの中に居るではないか。「ゴメンナサイ。」などと言っている。「どうしてここにパサンが?」と思うと同時に人懐こいパサンを見るとこちらも笑顔になってしまう。パサンが持ってきてくれた熱い紅茶を飲みながら話を聞くと、皆が「トロン」と寝ているときに、遠藤さんがトイレで外に出たそうだ。すると遠くにライトが見えたので合図をしたらそれがパサンのライトだったのだ。遠藤さんのなんと絶妙なグットタイミング。もしこれが無かったらパサンはどこまでも私たちを探して歩いて行っただろう。心の片隅では探しに来るかもと思っていたが、テントに入って横になったらすっかり忘れてしまった。そういえば誰もパサンが迎えに来る話はしなかったのはみな安心していたのだろう。雪の中でのビバークは避けられたし全員の安全も確認してパサンも安心しただろう。私たちは勿論のこと何より隊長はどんなにが安心した事と思う。テントの中に笑顔がこぼれた。片倉隊長は強運の持主なのかもしれない。21:30過ぎ、パサンはキャンプ地に戻っていった。
 もしも日が暮れたあの峠から先に進んで、パサンに出会いキャンプテントに着いたとしてもシュラフの無い夜を過ごしたろう。何しろここに自分のシュラフがあるのだから。狭くても暖かいテントの中でシュラフを被り半分眠りながらそんな事を思った。
 『事実は小節よりも奇なり』というが、小説にしてもこんなうまいストーリーは書けないだろう。副隊長の湯本氏が「神のご加護があったのだろう。」と言っていたが、私もそう思った。
標高5300m 白いティリチョレイクの夜は静かに更けていった。                岡  記

 

次へ           前へ

 好山会ホームページに戻る                              御感想はこちらまで